新潟テクノスクールは、新潟県が設置する職業能力開発校です。
メインメニューをとばして、このページの本文へ メインメニューをとばして、サブメニューへ

新潟テクノスクールブログ

年内の訓練終了ました! 【メカニカルベーシックコース】

2021.12.31
メカニカルベーシックコースは年内の訓練が終了しました。
12月24日普通課程の精密機械加工科の訓練生と一緒に、実習場の大掃除をしました。
一年間の感謝を込めて実習場の隅々まで掃除していきます。
これで訓練期間の半分がおわりました、2月の修了に向かって来年も頑張りましょう!



カテゴリ:メカニカルベーシックコース

自動車の歴史を学ぼう③

2021.12.31
自動車の普及とともにさまざまな社会問題が発生(1970~1980年)


自動車の保有人口が年々増加、さらに交通事故死亡者が増加し、1970年(昭和45年)には交通事故での年間死亡者が1万6765人となってしまいました。
さらに、交通渋滞の問題も発生し、当時「交通戦争」と揶揄されるほどでした。

また、大気汚染(排気ガス)が大きな社会問題として浮上しました。1968年(昭和43年)には大気汚染防止法が成立し、各メーカーは自動車開発において排気ガス対策を余儀なくされました。

1973年(昭和48年)にはオイルショックが起こり、ガソリン価格が急騰、自動車の低燃費化が求められました。

ここで世界をリードする技術を示したのが、日本車です。
1972年にホンダは規制に適合するCVCCエンジンを発表して世界に衝撃を与えたのです。
※ホンダ・シビック

さらに、肥大化したアメリカ車に比べて圧倒的に燃費のいい日本の小型車はアメリカ市場で、販売を伸ばしていきました。




参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
カテゴリ:自動車整備科2年

今年のまとめ②【精密機械加工科】

2021.12.30
24日金曜日に今年最後の訓練、終業式を迎えました。

昨年に続き、今年度も新型コロナウイルスに気を付けながらの訓練となりました。
1年生は見たこともなかった機械の知識や技能の習得に励み、
2年生は今まで習得した技能を使った修了課題や就職に向けて最大限の努力をしてきました。

来年は2年生は就職する企業に入社し、1年生は就職活動が本格的に始まります。
みなさんがどのように成長するか楽しみです。



カテゴリ:精密機械加工科1年

電気の歴史と偉人② 雷は電気だ!

2021.12.30
ベンジャミン・フランクリンはアメリカの政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者です!

フランクリンは、中に電気をためることができるライデン瓶を知り、電気に興味を持ちました。
1752年、雷を伴う嵐の中で凧をあげ、凧糸の末端にワイヤーで接続したライデン瓶により雷雲が電気を帯びていることを証明しました。
これはあまりにも危険すぎる実験です。本人は十分に安全に考慮していましたが、それでも現在からみれば自殺行為に近い実験です(絶対に真似はしないように)。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カテゴリ:電気システム科2年

自動車の歴史を学ぼう②

2021.12.30
復興とモータリゼーションの波(1955~1970年)


日本独自の発展を遂げたのは、軽自動車のジャンルでした。1949年(昭和24年)に規格が定められ、ボディーの大きさと排気量を制限した場合の優遇措置がとられたのです。排気量が360ccに定められると、メーカーがこぞって軽自動車を手がけるようになりました。

1955年(昭和30年)には通産省が“国民車構想”を発表。
それを受け、1958年(昭和33年)に発売されたスバル360は爆発的な人気となり、その後各メーカーが開発競争を繰り広げたことが、モータリゼーション(自動車交通の発達)を急速に進展させていきました。



1960年代に入ると、日本は1964年(昭和39年)に東京オリンピック、1970年(昭和45年)の大阪万博開催などの特需もあって、さらに経済発展を遂げ、1968年(昭和43年)にはGNP世界第2位となりました。

道路事情も、1963年(昭和38年)に名神高速道路が開通し、1968年(昭和43年)には東名高速道路が開通しました。

人々は自動車に対しても、さらに豪華で大きなクルマを求めるようになりました。
トヨタは小型大衆車のパブリカを1961年(昭和36年)に発売。
その後、まさに日本の国民車となった初代カローラが1966年(昭和41年)を発売しました。カローラは1968年~2001年の33年間、国内販売台数1位を維持するベストセラーカーとなり、現在でも世界中で販売を続けています。



参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
カテゴリ:自動車整備科2年
ページトップへ