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新潟テクノスクールブログ

カテゴリ:自動車整備科2年

自動車の歴史を学ぼう②

2021.12.30
復興とモータリゼーションの波(1955~1970年)


日本独自の発展を遂げたのは、軽自動車のジャンルでした。1949年(昭和24年)に規格が定められ、ボディーの大きさと排気量を制限した場合の優遇措置がとられたのです。排気量が360ccに定められると、メーカーがこぞって軽自動車を手がけるようになりました。

1955年(昭和30年)には通産省が“国民車構想”を発表。
それを受け、1958年(昭和33年)に発売されたスバル360は爆発的な人気となり、その後各メーカーが開発競争を繰り広げたことが、モータリゼーション(自動車交通の発達)を急速に進展させていきました。



1960年代に入ると、日本は1964年(昭和39年)に東京オリンピック、1970年(昭和45年)の大阪万博開催などの特需もあって、さらに経済発展を遂げ、1968年(昭和43年)にはGNP世界第2位となりました。

道路事情も、1963年(昭和38年)に名神高速道路が開通し、1968年(昭和43年)には東名高速道路が開通しました。

人々は自動車に対しても、さらに豪華で大きなクルマを求めるようになりました。
トヨタは小型大衆車のパブリカを1961年(昭和36年)に発売。
その後、まさに日本の国民車となった初代カローラが1966年(昭和41年)を発売しました。カローラは1968年~2001年の33年間、国内販売台数1位を維持するベストセラーカーとなり、現在でも世界中で販売を続けています。



参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
カテゴリ:自動車整備科2年

自動車の歴史を学ぼう①

2021.12.29
こんにちは!
今回は自動車の歴史について、少し振り返ってみようと思います。


第二次世界大戦後の自動車産業(1945~1960年)


戦後、日本では生産設備に大きな打撃を受け、当初はGHQ(連合国軍総司令部)から乗用車の生産を禁止されていました。

1949年には、政府のインフレ抑制策として通貨供給量を減らしたことにより、産業界は深刻な資金不足に陥りました。
トヨタ自動車も経営危機に陥り、銀行主導での再建計画を受け入れ、再生を図ることになります。

GHQの自動車の生産制限が1949年に解除され、戦後の日本の本格的な自動車生産は、海外の車両のノックダウン生産という形で始まりました。
※ノックダウン生産:製品を構成するすべての部品を輸入し組み立て、その現地もしくは周辺国で販売する方式

日野自動車はルノー、いすゞ自動車はヒルマン、日産自動車はオースチンと提携し最新の自動車の技術を学んでいきました。

その中でトヨタ自動車は純国産乗用車にこだわって開発を進め、1955年にトヨペット・クラウン(初代クラウン)を発表しますが、欧米の技術には敵いませんでした。



ヨーロッパも日本と同じように戦争で荒廃していましたが、次第に自動車工業は復興していきます。
ドイツのフォルクスワーゲン・ビートルは生産が開始されると、世界中で人気車となりました。
フランスでも、ルノー、シトロエンの小型車が発売され、大衆に受け入れられて広く普及していきました。



参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
カテゴリ:自動車整備科2年

自動車整備科2年訓練状況㉙

2021.12.25
引き続き委託実習の様子を!
F君は全国展開しているバイク店に内定をいただきました。
今回の実習では、車検整備を主にやらせていただいております。
4月からどこの県に配属なるかわかりませんが、もちまえの笑顔でがんばってください。




カテゴリ:自動車整備科2年

自動車整備科2年訓練状況㉘

2021.12.18
前回に続き自動車整備科2年生の委託実習の様子をブログにしました。
I君は大型自動車ディラーに内定をいただいております。
普通車とは違い、すべての部品が大きいです。
I君も最初こそ驚いていましたが、今では慣れた手つきで作業をしておりました。




カテゴリ:自動車整備科2年

自動車整備科2年訓練状況㉗

2021.12.11
自動車整備科2年生は、10月から内定先企業に委託実習に行っております。
写真のO君は内定先の魚沼市の整備工場で実習をしております。
スタッドレスタイヤへの交換作業もおちつき、車検整備の補助をしておりました。
これから魚沼地区は雪の季節になります。事故・怪我ないよう最後までがんばりましょう。






カテゴリ:自動車整備科2年
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