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自動車の歴史を学ぼう⑥
2022.01.03
新しい時代に向けて
長い不況と自動車業界の激動を経験したが、今も日本車は大きな存在感を示しています。
1997年(平成9年)にはトヨタが初の量産ハイブリッド車であるプリウスを発表し、環境技術での先進性を示しました。

2013年では“エコカー”が市場の中心となってきており、プラグインハイブリッドカーのトヨタ・プリウスPHV、三菱i-MiEV、日産リーフなどの電気自動車が、すでに日本の道を元気に走っています。
水素を利用した燃料電池車も試験的に各地で走行しています。




また、現在では衝突を回避する自動ブレーキシステムがすでに多くの自動車に装備され、自動運転さえも手の届く技術になろうとしています。
自動車の成長と発展の勢いが止まらないのは、現代社会の中で果たす役割が大きいからだと言えます。
以上で自動車の歴史についての紹介は終わりにさせていただきます。
より詳しく知りたい方は下記参考文献を調べてみてください。
参考文献:
自動車誕生から現在までの自動車史
長い不況と自動車業界の激動を経験したが、今も日本車は大きな存在感を示しています。
1997年(平成9年)にはトヨタが初の量産ハイブリッド車であるプリウスを発表し、環境技術での先進性を示しました。

2013年では“エコカー”が市場の中心となってきており、プラグインハイブリッドカーのトヨタ・プリウスPHV、三菱i-MiEV、日産リーフなどの電気自動車が、すでに日本の道を元気に走っています。
水素を利用した燃料電池車も試験的に各地で走行しています。




また、現在では衝突を回避する自動ブレーキシステムがすでに多くの自動車に装備され、自動運転さえも手の届く技術になろうとしています。
自動車の成長と発展の勢いが止まらないのは、現代社会の中で果たす役割が大きいからだと言えます。
以上で自動車の歴史についての紹介は終わりにさせていただきます。
より詳しく知りたい方は下記参考文献を調べてみてください。
参考文献:
自動車誕生から現在までの自動車史
カテゴリ:自動車整備科2年
自動車の歴史を学ぼう⑤
2022.01.02
激動の21世紀(1992~)
絶頂期を迎えた日本車だったが、思わぬ障壁が立ちふさがります。バブル経済の崩壊です。
1991年の新車販売は7年ぶりに前年を下回り、日本経済全体が長い不況を経験することになりました。
※バブル期に企画された新型車が売れない
また、この頃からユーザーの自動車に求めるものが多様化し、セダンタイプの自動車から軽自動車を代表とする小型実用車、実用性の高いミニバンが販売の中心を占めるようになっていきました。
※ホンダ・オデッセイやトヨタ・エスティマなど


参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
絶頂期を迎えた日本車だったが、思わぬ障壁が立ちふさがります。バブル経済の崩壊です。
1991年の新車販売は7年ぶりに前年を下回り、日本経済全体が長い不況を経験することになりました。
※バブル期に企画された新型車が売れない
また、この頃からユーザーの自動車に求めるものが多様化し、セダンタイプの自動車から軽自動車を代表とする小型実用車、実用性の高いミニバンが販売の中心を占めるようになっていきました。
※ホンダ・オデッセイやトヨタ・エスティマなど


参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
カテゴリ:自動車整備科2年
自動車の歴史を学ぼう④
2022.01.01
新年あけましておめでとうございます。
今年も自動車整備科は元気に活動していきます!
年末に続き自動車の歴史に触れていこうと思います。
日本車の黄金期(1980年代~1991年)
その後も日本車は、アメリカ市場で販売を伸ばし、1980年(昭和55年)には、日本の自動車生産台数が世界ナンバー1となりました。
日本車の快進撃は続き、バブル景気に沸いた1989年(平成元年)は
トヨタ・セルシオ、日産・スカイラインGT-R、ユーノス(マツダ)・ロードスターなどの名車が一斉にデビューし、日本車の名声を確固たるものにしたのです。



1990年には、日本車初のスーパースポーツであるホンダNSXが登場し、オールアルミのモノコックボディーに3リッターV6 エンジンを搭載したモデルで、高性能と、大きなトランクを備えてATも選べるという実用性を兼ね備えていました。

参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
今年も自動車整備科は元気に活動していきます!
年末に続き自動車の歴史に触れていこうと思います。
日本車の黄金期(1980年代~1991年)
その後も日本車は、アメリカ市場で販売を伸ばし、1980年(昭和55年)には、日本の自動車生産台数が世界ナンバー1となりました。
日本車の快進撃は続き、バブル景気に沸いた1989年(平成元年)は
トヨタ・セルシオ、日産・スカイラインGT-R、ユーノス(マツダ)・ロードスターなどの名車が一斉にデビューし、日本車の名声を確固たるものにしたのです。



1990年には、日本車初のスーパースポーツであるホンダNSXが登場し、オールアルミのモノコックボディーに3リッターV6 エンジンを搭載したモデルで、高性能と、大きなトランクを備えてATも選べるという実用性を兼ね備えていました。

参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
カテゴリ:自動車整備科2年
自動車整備科2年訓練状況㉚
2022.01.01
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今回紹介する訓練生はS君です。
S君は魚沼市出身で地元の民間整備工場から内定をいただいております。
今回の実習では、定期点検を多く経験させていただいたとのことです。
2年間、親元を離れ頑張って来ました。あと数か月で地元に戻っての生活にになります。
最後まで悔いのないように頑張りましょう。

今年もよろしくお願いします。
今回紹介する訓練生はS君です。
S君は魚沼市出身で地元の民間整備工場から内定をいただいております。
今回の実習では、定期点検を多く経験させていただいたとのことです。
2年間、親元を離れ頑張って来ました。あと数か月で地元に戻っての生活にになります。
最後まで悔いのないように頑張りましょう。
カテゴリ:自動車整備科2年
自動車の歴史を学ぼう③
2021.12.31
自動車の普及とともにさまざまな社会問題が発生(1970~1980年)
自動車の保有人口が年々増加、さらに交通事故死亡者が増加し、1970年(昭和45年)には交通事故での年間死亡者が1万6765人となってしまいました。
さらに、交通渋滞の問題も発生し、当時「交通戦争」と揶揄されるほどでした。
また、大気汚染(排気ガス)が大きな社会問題として浮上しました。1968年(昭和43年)には大気汚染防止法が成立し、各メーカーは自動車開発において排気ガス対策を余儀なくされました。
1973年(昭和48年)にはオイルショックが起こり、ガソリン価格が急騰、自動車の低燃費化が求められました。
ここで世界をリードする技術を示したのが、日本車です。
1972年にホンダは規制に適合するCVCCエンジンを発表して世界に衝撃を与えたのです。
※ホンダ・シビック
さらに、肥大化したアメリカ車に比べて圧倒的に燃費のいい日本の小型車はアメリカ市場で、販売を伸ばしていきました。

参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
自動車の保有人口が年々増加、さらに交通事故死亡者が増加し、1970年(昭和45年)には交通事故での年間死亡者が1万6765人となってしまいました。
さらに、交通渋滞の問題も発生し、当時「交通戦争」と揶揄されるほどでした。
また、大気汚染(排気ガス)が大きな社会問題として浮上しました。1968年(昭和43年)には大気汚染防止法が成立し、各メーカーは自動車開発において排気ガス対策を余儀なくされました。
1973年(昭和48年)にはオイルショックが起こり、ガソリン価格が急騰、自動車の低燃費化が求められました。
ここで世界をリードする技術を示したのが、日本車です。
1972年にホンダは規制に適合するCVCCエンジンを発表して世界に衝撃を与えたのです。
※ホンダ・シビック
さらに、肥大化したアメリカ車に比べて圧倒的に燃費のいい日本の小型車はアメリカ市場で、販売を伸ばしていきました。

参考文献:
自動車誕生から今日までの自動車史
カテゴリ:自動車整備科2年